時代小説を読む
今しかできない事 その②
それは、時代小説を読むこと。昔から時代劇や時代小説など、いわゆる時代モノは苦手でした。高校受験も日本史は敢えて敬遠しました。
ところが社会人になってから、何かと方々の会話の中に歴史に関する話題が絡んできたりします。まして僕の出身地は愛知県岡崎市。そう、徳川家康の出生地なのです。
これまで幾度となく時代小説にチャレンジしましたが、とにかくどれもみな長編小説ばかり。一度も読破出来ませんでした。
そしてこのたびの予期せぬ休暇、あらゆる時代小説を読み漁っています。作者だけでも、北方謙三、浅田次郎、森村誠一、木下昌輝、と錚々たる顔ぶれです。
どの作品も、事実に則しているので、読後は決まったある一つの結論に辿り着きます。それは「自分は武士の時代に生まれなくて良かった」ということ。
切腹、自刃、刃傷。これらは驚くほど日常的です。
武士は常に、いかに武士らしく死ぬか、ということを考えています。死ぬために生きています。武士道というと聞こえは良いけど、どうやらそれは強い見栄の世界でもあったようです。
しかし現代に生まれた私たちは今、いかに生きるかを考えています。死ぬことを考えながら生きている武士とは真反対ですね。
武士は実より名を取ります。そうでなければ自ら武士を語れませんでした。私だったら迷わず名より実を選ぶでしょうね。
次に控えているのは、司馬遼太郎作品です。
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