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2016年8月

2016年8月15日 (月)

不運と思うな、と言うけれど

最近『不運と思うな』(伊集院静著)という本を読んだ。要約するなら「若くして亡くなった人を不運だと思うな。そのように考えては、彼(女)の生きた時間と姿勢に対して失礼だ。死んだ人がどこかで、不運だとうなだれているあなたの姿を見たらせつなくなるだろう。」という具合だろうか。

読み終わった直後は「なるほど、そうかもしれない」と思ったが、いざ親しい人が亡くなると、なかなかそのように上手くは自分の気持ちを操縦出来ないものだと今日実感している。

中でも最大の心残りは「もう一度会っておけば良かった」という思いである。「どうしているのだろうか」と常々思ってはいても、日頃の喧噪にかこつけて「もう少し落ち着いたら会おう」「いつでも会える」という思いが先行してしまったのが悔やみきれない。

そう言えば数年前、当店のお客さまとの会話の中で「亡くなった人の電話番号を携帯電話の中の電話帳から削除する? しない?」という話題になったことがあった。

亡くなっても削除出来ない人とは、会いたいと思った時に会っておくべきことをお勧めしたい。

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2016年8月11日 (木)

女子マネージャーと甲子園

リオ五輪と高校野球が連日白熱している今年の夏、とりわけ私的に目についたのが「野球部女子マネージャー甲子園グラウンド退場事件」であった。

簡単に概要を説明すると「甲子園出場を決めた大分高校の女子マネージャーがユニフォームを着用して同校の甲子園公式練習に参加したところ、グラウンドに立つのは男子のみという規定により、彼女は高野連スタッフにより退場を余儀なくされた」というものである。ところがここでいうグラウンドとはあくまで「試合」を意味しており、「練習」に関しては特に明記されていなかったので後日賛否両論の意見がぶつかり合ったのだ。

ここで高野連の対応に賛成派の2つの意見をご紹介する。

①グラウンドは女性には危険な場所である。男性(選手)も送球方向に女性が立っていると本気で球を投げられない。

②甲子園は高校球児の「聖地」であり女子禁制は当然である。

私の意見を述べるまでもなく、①②が「男女平等ではない」ことだけは明白だろう。こんなことは各チームの判断に任せれば終わる問題だと思う。同校は彼女がマネージャーとして3年間チームを支えてきたお陰で甲子園に出場することが出来た、との思いで皆と一緒に球場に同行させ、いつもの練習と同じように彼女にノックのボール渡しをさせただけなのだ。部外者による「女性は危険」「聖地につき女子禁制」などの意見は、同校にとっては大きなお世話だったに違いない。①②のように考えるチームはそのようにすれば良い、ただそれだけのことだ。正直言って現代でもなおこのような封建的な制度が堂々と罷り通るのは信じ難く、また嘆かわしい。 

イギリスを始めフィリピン、ドイツ、韓国と戦後次々に女性の首相が誕生し、あのアメリカでさえ今まさに女性大統領が誕生しようとしている現在、初めて東京都知事に女性が就任したことで、政府が彼女に協力するかしないかで物議を醸している本国。あまりにも世界に遅れをとってはいないだろうか。

そろそろ「これからは女性の時代」であることに気づくべきだろう。少なくとも、10年間BARカウンターに立って客席を見続けている私は、とうにそのことを認めているというのに。

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